この記事では、蛇甘平原どこなのか、史実で実在するか、現在の地図ならどこかの3本立てでお伝えします。
蛇甘平原ネタを現在の地図を使ってビジュアル的に説明していきますので、予備知識が無しで大丈夫!
史実に沿って実在するものと実在しないものをはっきり分けて、お伝えしていきます。
Contents
蛇甘平原はどこ?
『蛇甘平原』は創作であると明言されていますが、秦国と魏国を結んだ間の秦国に近いところだと推察されます。
何故なら、作中の話では、蛇甘平原の戦いが起こった経緯は、魏国の領地である滎陽城(けいようじょう)を奪取しようとしたところ、思いのほか魏国が攻めてきたという流れだったからです。
そのため、滎陽城よりも秦国側に寄ったところと推察されます。
滎陽城があった場所は実在していて、グーグルマップだと以下の場所になります。
地形を見ると、丘もあり、平原もあるような地域だということがわかりますね!
なかなか地形に恵まれていて、攻めにくい土地だなぁと感じました。
蛇甘平原は現在の地図ではどこのあたり?
ここからは完全に筆者の考察になります。
- 滎陽城よりも秦国側に寄ったところ、つまり東側に寄ったところ。
- 作中のシーンのように、適度に丘(ちょっと緑)と平地(肌色)がある場所のあたり。
- 崖から落ちるシーンがあったので、山もあるところ。
そうすると、上の地図では、地形的にG30とラベルがあるあたりからG207のラベルがある当たりと予測しました。
あくまで、管理者のイメージになるので、エンタメとしてお楽しみください。
蛇甘平原は史実で実在する?
蛇甘平原と同様に『蛇甘平原の戦い』も史実上の記載は無く、創造である明言されていますが、戦いはあってもおかしくありません。
なぜなら、この頃は既に秦と魏は既に戦争状態に入っていたからです。
そこで、紀元前245年の前後に起こったことを秦始皇の本紀から一緒に見てみましょう。
戦が起こっていた流れを確認することで、『戦いはあってもおかしくない』ことがわかります。
蛇甘平原の戦いの前後に起こったことを整理する
紀元前245年の蛇甘平原の戦い(創造)を挟んだ、紀元前247~244年の史記の記述を見てみましょう。
秦と魏の戦いは、紀元前247~246年に晋陽、紀元前245年の滎陽城、紀元前244年の巻で行われています。
それぞれの地域を地図上で並べてみると以下のようになります。
魏国の領地である滎陽城が中間地点にあることがすぐわかりますね。
秦国が、じわじわと魏国のある西のほうへ攻めていったことや、魏国が滎陽に城を構えていたことを考えると、戦いがあってもおかしくないということが言えます。
この蛇甘平原は山や丘の地形も戦略のうちに入っており、信が王騎将軍から戦いを初めて習う重要な舞台となっています。
また、河了貂もこの戦いを受けて、軍師になることを決意する土地でもあります。
以下では、それぞれの前後の戦いについて、より詳しくお伝えしていきます。
蛇甘平原の戦いの前、紀元前247~246年に晋陽で反乱が起きる
『史記』の秦始皇の本紀には、以下のように、晋陽で反乱があったとの記述があります。
王、年少く、初め位に即くや、国事を大臣に委ぬ。晋陽反す。(秦始皇-本紀より引用)
晋陽という地域は、今の太原市あたりになります。
秦国と魏国のあるようでない国境のうち、北側から攻めたという認識になりそうです。
紀元前246~245年に魏を討ち、巻を攻める(蛇甘平原の戦いの後)
以下の記述より、蛇甘平原っぽい戦いをした後、巻(かん)という地域を攻めています。
二年、麃公、卒を将いて巻を攻め(秦始皇-本紀より引用)
巻(かん)は、グーグルマップでいうと平頂山市あたりになります。
秦国と魏国のあるようでない国境のうち、南側を攻めているというイメージです。
蛇甘の名前はどこからとった?
蛇甘は創造上の名前ですが、どのように想像したのか気になったので調べたのですが、記述はありませんでした。
色々な説もありましたので、私も倣って説を1つ書いてみようと思います。
現在の滎陽市を定めたのは秦です。
しかし、紀元前245年頃、秦側は魏の滎陽城が欲しかった。
この滎陽市の平地には、蛇行している川があります。
地名をつける際に地形からとるのは一般的な手段の1つです。
蛇はここからとったんじゃないか…と思いました。
では甘はどこからとったのか。
中心路と書いてあって、甘の字が使われていました。
この道路はまっすぐ滎陽市のど真ん中へ入っていく道路になります。
「ここからとったのかな?」とめちゃくちゃ妄想の範囲内ですが、推測しました。
まとめ
蛇甘平原は実在しない場所でしたが、史実に記載されていることを踏まえて、現在の地図でどこらへんになるのかを、考察してきました!
史実を追っていくことで、書かれていないことまでも読み解き再構築するキングダムは本当に感服いたします。
蛇甘平原どこについては、ここかなと思われる場所をお伝えしました。
史実で実在はしませんが、前後関係を読むことで、現在の地図でどこかを想像してきました。
蛇甘平原は記載がないからこそ、風化された歴史に思いを巡らせるロマンを感じますよね。
そのような場所は、実際にある地域以上に、私の心の中にはしっかり存在しています!